中世の日本建築 日本建築史

日本建築-神仏習合

なぜ建築史を学ぶか

西洋建築史年表

日本建築史年表

読書感想

丹下健三・ルイス・カーンetc

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2024/1/5

西洋建築-ロココ

↑合わせて読む↑ 背景 ルイ14世と貴族 ルイ14世は、フランスの絶対王政期において、貴族たちを自身の権力の下に統制しようと努めました。彼は貴族たちに対して、彼らが持つ領地や特権を管理する役割を与え、その責任を負わせます。また、貴族たちに対して軍隊への奉仕も求めました。しかし、貴族たちが軍隊に奉仕することを嫌がったため、ルイ14世は貴族たちを厳しく取り締まることを余儀なくされました。 宮廷文化 宮廷文化を重んじていたルイ14世は、貴族たちを宮廷に招待して自分の側に置くことで、自身の権力強化を図ります。宮廷 ...

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2024/1/5

日本建築-大仏様

↑合わせて読む↑ 時代背景 力をつける寺社 この時代の寺社は、各地に荘園*を持つようになり、財政的にも潤っていました。それに伴い、政治的な力も強めていきます。 荘園:領主が自らの所有する土地を農民や奴隷などに貸し出して、彼らからの税を収める経営形態。土地を借りる農民や奴隷は、作物や畜産物などの収穫物や一定の労役を支払うことによって生計を立てていました。 僧兵による武装化 寺社が権力を握る中、自分たちの力で社会を切り開き、大和国の実権を握ったのは平清盛でした。もちろん、もともと大和国での特権を保持していた南 ...

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2024/1/5

西洋建築-フランス・ルネサンス

↑合わせて読む↑ 背景 フランスの近代化 ルネサンス期のフランスは、政治的・経済的・文化的に大きな発展を遂げました。先頭を切ったのはシャルル8世です。彼はフランス軍を再編成し、新しい兵器を導入して戦力を強化し、財政改革を実施して経済を活性化させました。そしてブルターニュを併合することによって、フランスの領土を拡大しました。また、イタリア遠征*も行いましたが、こちらは失敗に終わります。そして、彼は28歳にして、この世を去ってしまうのでした。 シャルル8世のイタリア遠征:シャルル8世は、ナポリ王国の領土をめぐ ...

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2024/1/5

西洋建築-アール・ヌーヴォー

↑合わせて読む↑ 背景 新様式の準備 19世紀末、産業革命によって工業製品の生産が増え、大量生産や機械化が進む中で、人々の間に単調で機械的なデザインに対する反発が生まれていました。その代表格がアーツ・アンド・クラフツ運動です。彼らは手作りを重視することによって、自然の美しさや個性の再評価を図りました。 アーツ・アンド・クラフツはこの記事で解説 》建築-アーツ・アンド・クラフツ アーツ・アンド・クラフツ運動は、その理念こそ前進的であったものの、しかし中世主義という性格から、近代化と言える段階にまでは至れませ ...

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2024/1/5

日本建築-天守閣

↑合わせて読む↑ 時代背景 大名と張り合う寺院勢力 この時代の有力寺社(東大寺・興福寺・延暦寺など)は、荘園による寺社領の保持・僧兵による武装化によって、絶大な影響力・軍事力を誇っていました。寺社は戦国大名に比肩する一大勢力だったのです。 外来文化による破壊 そんな中、キリスト教の布教や交易のため、ヨーロッパ諸国から日本への来訪が増加します。これによって、多くの文化が持ち込まれました。フランシスコ・ザビエルなどがその例で、新文化の影響を受けた日本人にとっては、既存の世界観や価値観が打ち壊されることになりま ...

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前の様式

時代背景

6世紀前半、朝鮮半島を通じて中国からの文化が日本に伝来し、やがて日本独自の文化が形成される中で、神道と呼ばれる民間信仰が発展しました。そして神祇体制が敷かれることによって、神道は国家宗教となります。

一方で、7世紀には中国から仏教が伝来します。異なる教義や儀式を持つ仏教は、当初は神道との対立を避けられないと思われました。しかし8世紀後半頃になると、神道と仏教の間には相互の影響が生じ、信仰の融合が進んでいきました。神社においても仏教的な儀式や仏像が導入され、仏教寺院においても、神道的な信仰や神社における祭祀が行われるようになったのです。

仏教が排除されなかった理由としては、聖武天皇や聖徳太子といった、王朝の支配層が仏教を重んじていたことが挙げられます。彼らは寺院や僧侶を保護する政策を取りました。

本地垂迹説

その根拠となったものに、「本地垂迹説」という考え方があります。これは、「神は仏の化身であるため、神と仏は同一のものである」という考え方です。これによって、神道の神々が仏教の菩薩や仏になぞらえられるようになったのです。

神道では神々を祀るという信仰があり、一方の仏教でも、多くの菩薩や仏を崇敬していました。また、どちらも人間に近い存在であるという点など、神道の神々と仏教の菩薩や仏にはもともと類似点があったといえます。

様式の特徴

停滞する神社建築

天武天皇によって律令的神祇体制が敷かれて以降、官社の建設と維持は国家の管理下にありました。それに伴い、形式も一律化され、神社建築は停滞期を迎えます。

未来は在地の信仰にあり

その一方で、官社にすくい取られなかった在地の信仰*は山岳宗教*などと結び付き、神社と寺院の両取りに成功した「神仏習合の建物」として、発展を遂げました。神仏習合の考えによって建てられたこの建物は、僧侶が建設し、また仏式の法会で仕えたため、「神宮寺」といわれます。神宮寺は神威に勝り、多くの帰依を集めることに成功しました。

郷土信仰や村落信仰などと呼ばれる在地の信仰は、その土地の風土や文化・伝統と密接に結びついていたため、神祇体制が敷かれる中でも根強くその地域に存続することが出来ました。また神道自体が多神教であったことも要因の一つとして考えられます。

山岳宗教:古代から日本に伝わる、山や自然を信仰対象とする宗教。仏教と融合することで、山岳宗教としての形態をとるようになりました。

また、在地の信仰に対する神仏習合の理解がその地域によって異なったため、地域ごとに独自の神仏習合建築が誕生しました。

造形

大寺と神社が一体化

8世紀末から9世紀頃には神宮寺が造られるようになり、大寺と神社が緊密な関係になりました。

日吉大社

比叡山の僧によって建てられた日吉大社は、当時の寺院建築から影響を受け、また延暦寺の鎮守として一体となって発展していきます。

神社なのに仏塔

仏舎利を祀る仏塔は本来神社に必要ありませんが、神仏習合の影響で、塔のある神社も誕生します。

神社にも礼拝スペースが付加

神社建築に仏教的な要素が入ってくるに従って、礼拝のスペースが追加されました。

八坂神社

横長の神殿と礼堂が、一つの大きな屋根に納められて、大規模な仏堂のような外観を得ました。

参考文献

日本建築史講義|著.海野聡|学芸出版社

建物が語る日本の歴史|著.海野聡|吉川弘文館

建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会

日本建築様式史|監修・太田博太郎|美術出版社

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思索さん

「22歳(令和元年)で二級建築士(合格率20%)を取得&登録」↓建築を突き詰めた結果、宗教にたどり着き、「浄土真宗東本願寺の僧籍を取得」 ≫思索さんとは何者か

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